地域への経済効果は265億円? 地域エコシステムの欠けたピースは、キャリアブレイクかもしれない

キャリアブレイクが地域に与える経済効果を、数字にできないか——。そんな問いを抱えて、大阪公立大学商学部でエコシステム論を研究する王亦軒(おう えきけん)准教授に連絡を取ったのは、今年の春のことだった。
プラットフォーム戦略とエコシステム論を専門とする王先生は、このテーマに対して、意外なほど素直に「面白い」と言ってくれた。その理由を聞いていくうちに、経済効果の数字だけでは捉えきれない、より大きな問いが見えてきた。
キャリアブレイクは、単なる個人の休職や転職の空白期間ではない。地域にとっては、新しい人材、経験、視点、ネットワークが流れ込む機会にもなりうるのではないか——。
経済効果の試算:まず、仮説として
最初に、私たちが試みた試算の結果を示しておく。
厚生労働省「転職者実態調査(令和2年)」をもとに、転職者319万人のうち、前職離職から現在の勤め先に就職するまでに1か月以上の空白期間があった人を、広い意味でキャリアブレイク中の人と仮定する。その割合は46%であり、約147万人になる。
さらに、キャリアブレイク白書2025の調査で「ワーケーション・移住体験など」を選んだ割合が10.6%であることを踏まえると、地域に一定期間滞在する可能性のあるキャリアブレイカーは、年間約15.6万人と試算できる。
ここでは、全国の自治体が設計する「お試し移住」プログラムなどを参考に、滞在期間を1か月と仮定する。総務省家計調査における単身世帯の月間消費支出を約17万円と置くと、15.6万人×17万円で、全国で年間約265億円の直接消費が生まれうる計算になる。
もちろん、この数字はあくまで仮説である。
キャリアブレイク白書のサンプルは311人で、無作為抽出ではない。滞在期間も実測ではなく、ここでは1か月と仮定している。月17万円の消費がすべて地域内に落ちるわけでもない。したがって、265億円という数字を「正確な経済効果」と言い切ることはできない。
王先生も、率直にこう指摘する。
数字を出す意義は十分あると思います。ただし、この段階ではかなり粗い試算です。むしろ重要なのは、キャリアブレイクという現象を、地域政策や地域経済の視点からもっと本格的に調査する価値があると示すことだと思います。
そして、こう続けた。
数字も重要ですが、キャリアブレイカーが地域に与える価値は、消費額だけでは到底測れません。
では、その「測れない価値」とは何か。
エコシステムとは何か:地域を「生態系」として見る
王先生の専門である「エコシステム論」は、もともと生物学の「生態系」から借用された考え方だ。
自然界では、植物、昆虫、動物、微生物、水、土壌などが互いに依存し合いながら、一つの生態系をつくっています。どれか一つだけで成立しているわけではなく、それぞれが関係し合うことで全体が維持されています。地域もそれに近いと思います。
地域には、住民、事業者、行政、学校、NPO、地域金融機関、外部から来る人など、さまざまな主体がいる。それぞれがバラバラに動いているだけでは、地域全体として大きな力にはなりにくい。しかし、それぞれの強みや資源がうまくつながると、新しい商品、サービス、仕事、学び、交流、挑戦が生まれていく。
それが、地域エコシステムが機能している状態だ。
逆に言えば、地域に人材や資源や課題があっても、それらがつながっていなければ、新しい動きは生まれにくい。面白い人はいる。課題もある。外から関わりたい人もいる。しかし、それらをつなぐ関係性や仕組みがない。そこに、地域エコシステムの課題がある。
この視点でキャリアブレイカーを見たとき、王先生には一つの直感があった。
キャリアブレイカーは、観光客でも、従来型の移住者でもありません。観光客のように短期間で地域を通り過ぎるわけではない。一方で、必ずしも移住を前提にしているわけでもない。観光と移住のあいだにいる存在です。
キャリアブレイカーは、一定期間地域に滞在し、地域の人、事業者、地域資源と関わる。その経験を自分の言葉で外に伝えていく可能性もある。
そう考えると、キャリアブレイカーは地域エコシステムに新しい関係性を生み出す存在になりうると思います。
「サプライズ」が生まれる場所
王先生がエコシステムを語るときに重視するのは、設計と創発の関係である。
エコシステムは、ある程度デザインできる。誰と誰をつなぐのか、どのような役割を担ってもらうのか、どのような価値を目指すのかは設計できる。
しかし、設計どおりに動くとは限らない。多様な主体が関わることで、当初は想定していなかった関係性や価値が生まれることがある。王先生は、それをわかりやすく「サプライズ」と呼ぶ。
エコシステムは設計できますが、完全にコントロールできるものではありません。多様な主体が関わるからこそ、当初は想定していなかった出会いや関係性、価値が生まれる。私はそこに、エコシステムの面白さがあると思います。
ただし、これは「放置すればよい」という意味ではない。
エコシステムは、過度に管理しすぎると、参加者同士の偶発的な出会いや創発的な価値創造が生まれにくくなります。最低限のルールや安全性は担保しながらも、現場の自発性や試行錯誤を許容する姿勢が重要です。
キャリアブレイクもまた、地域エコシステムにおける“サプライズ”を生み出す要素になりうる。
仕事を一度離れ、自分の生き方や働き方と向き合う人たちは、観光客のように地域を短く通り過ぎるわけではない。かといって、必ずしも移住を前提にしているわけでもない。
一定期間地域に滞在し、地域の人と出会い、ボランティアや手伝いを通じて地域の活動に関わることもある。しかし、「移住するのですか」と聞かれれば、「今すぐ移住するわけではない」と答えるかもしれない。
この中期的な滞在と関わり方は、これまでの地域政策の中で十分に想定されてこなかった存在である。
外から来た人が地域の人や事業者、資源と出会い、関わり、その経験を外に持ち帰っていく。その小さな循環が、地域に新しい関係性を生み出し、地域エコシステムを少しずつ動かしていく可能性があります。
観光客が集まる「定番の地域」はある。移住先として人気の「移住にいい街」もある。しかし、キャリアブレイク中の人が「自分の生き方や働き方を見つめ直すのにちょうどいい地域」として思い浮かべる場所は、まだ定まっていない。
そこに、地域にとっての新しい可能性がある。
キャリアブレイカーは「語り部」になる
インタビューの中で印象に残ったのは、王先生がキャリアブレイカーを「語り部」や「アンバサダー」のような存在として捉えていたことだった。
キャリアブレイクをするというのは、多くの人にとって大きな決断です。仕事を一度離れる、会社を辞める、あるいはこれまでの働き方を止めるという選択は、簡単なものではありません。だからこそ、その期間に何を体験したか、誰と出会ったかは、本人の人生の中でも深い印象として残りやすいと思います。
観光で訪れた場所の記憶と、キャリアブレイク中に滞在した地域の記憶は、質が違う。
旅行の記憶は、数ある訪問先の一つとして残ることが多い。一方で、キャリアブレイク中の滞在は、「自分の人生を見つめ直した時間」や「次の働き方を考えた時期」と結びついて記憶される。
その地域で誰と出会ったか。どんな言葉をかけられたか。どんな仕事や暮らし方を見たか。何を手伝い、何を感じたか。
そうした経験は、単なる旅の思い出ではなく、人生の転機に結びついた記憶として残る。だからこそ、本人の中に長く残り、家族や友人、元同僚、SNS上のつながりに語られていく可能性がある。
キャリアブレイカーは、地域の魅力や可能性を外に伝える存在になりうると思います。その地域での体験が、人生の大きな節目と結びついて記憶されるからです。そうした語りや口コミは、単純な経済効果の試算には入っていませんが、地域にとって非常に重要な価値だと思います。
地域側にとって重要なのは、キャリアブレイカーを単なる「お客様」として見るのではなく、一時的に地域に参加する仲間、共創のパートナーとして捉えることだ。
“なぜこの人は働いていないのか”ではなく、“自分の人生や働き方を見つめ直しているのだな”と受け止めるだけでも、その人の地域での記憶は変わると思います。地域への印象は、そうした小さな受け止め方によって大きく左右されます。
「正攻法ではいけない」——王先生自身のキャリアブレイク的経験
王先生自身にも、ある種のキャリアブレイク的な経験がある。
大学時代、単位を落とし、留年した。
親に成績が届いて、このままでは学費を払えないと言われました。頭を下げて、もう留年しないからとお願いしました。
そこから王先生がとった行動は、「正攻法」ではなかった。
当時、学部の授業は全英語で行われていた。留年生として同級生の輪にそのまま戻るのは難しかったため、英語が堪能な外国人留学生に積極的に話しかけ、一緒に勉強するようになった。
そのとき、外国人留学生たちは、私を特別に変な目で見ることなく、自然に受け入れてくれました。その温かさがあったから、自分ももう一度頑張れたのだと思います。
英語が上達し、小さな成功が積み重なり、自信が生まれた。
レールから外れると、みんなと同じやり方ではうまくいかないことがあります。だからこそ、視野を広げるしかない。あの期間があったから、いろいろな方法があると気づけました。
この経験は、キャリアブレイクの変容プロセスとも重なる。
キャリアブレイカーも、レールから一度外れたときに、“正攻法だけではない”と気づくのかもしれません。そして、そのときに地域の人が温かく受け止めてくれると、その経験は本人にとって大きな支えになります。そこから視野が広がり、東京にしか仕事がないという思い込みが外れたり、地方での暮らしや働き方を試してみようと思ったりする。
経済効果を超えて:地域エコシステムへの問い
試算の結果として示した年間約265億円という数字は、あくまで仮説に過ぎない。
しかし、王先生との対話を通じて見えてきたのは、キャリアブレイク中の人が地域にもたらす価値は、消費だけではないということだった。
都市部で培ったスキルや経験を持つ人が、地域に一定期間滞在する。地域の人や事業者と出会う。地域資源に触れる。ときには手伝い、活動に関わる。そして、その経験を外に持ち帰り、他者に伝えていく。
この一連の流れは、地域エコシステムにとって、新しい関係性を生み出すきっかけになりうる。
つまり、キャリアブレイカーは、地域の中では人や資源をつなぐ「触媒」として機能し、地域の外に向けては魅力や可能性を伝える「語り部」として機能しうる存在なのだ。
ただし、この価値は今の統計にはほとんど現れていない。
キャリアブレイクという概念自体が、まだ公的統計の中で明確に捉えられていないからだ。誰が、どの地域に、どれくらい滞在し、何にいくら使い、誰と出会い、その後に再訪、副業、起業、移住、地域プロジェクトへの参加につながったのか。そうしたデータは、まだ十分に蓄積されていない。
王先生は言う。
今後必要なのは、経済効果をより正確に測れるデータをつくることです。同時に、キャリアブレイカーの関わりによって、地域にどのような新しい関係性や活動、事業、学びが生まれたのかを具体的な事例として研究する必要があります。
重要なのは、成功事例を単に紹介することではない。
なぜその地域ではうまくいったのか。どのような地域課題があったのか。誰がキャリアブレイカーと地域をつないだのか。地域側の事業者や行政、住民がどのように関わったのか。キャリアブレイカー自身がどのような経験やネットワークを外に持ち帰ったのか。
そうした点を整理することで、他の地域にも応用できる知見になる。
キャリアブレイクを、単なる退職や転職の空白期間として見るのではなく、地域に新しい人材、視点、経験、ネットワークが流れ込む機会として捉え直すこと。そして、キャリアブレイカーと地域の課題、事業者、住民、行政をどのように接続するかを設計すること。
そこに、地域エコシステムを動かす新しい可能性がある。
キャリアブレイクという人生を見つめ直す時間は、本人にとっての転機であると同時に、地域にとっても新しい関係性が生まれる機会になりうる。
地域エコシステムの欠けたピースは、キャリアブレイクかもしれない。
2026年05月19日
PARTNER

王亦軒
大阪公立大学商学部
准教授。専門はプラットフォーム戦略、エコシステム論。デジタル・プラットフォーム企業の戦略行動、エコシステムにおけるプレイヤー間の関係性を研究。直近の科研費採択テーマは「デジタル・ディスラプターはエコシステム統合の不利益をどのように克服するか」(2025〜2028年)。中国出身、日本在住。
WRITER

北野 貴大
代表理事 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所
2014年にJR西日本グループに新卒で入社し、都市開発に従事。妻のキャリアブレイクをきっかけに、キャリアブレイク中の人のための宿「OKAYU HOTEL」を2021年にスタート(現在は奈良で運営中)。退職後、一般社団法人キャリアブレイク研究所を理事2人と共に2022年に設立。2023年より、大阪公立大学大学院経営学研究科付属イノベーティブシティ大阪ラボ特別研究員。
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