Career Break Journal

キャリアブレイクと文化

人生を豊かにする手段としての「複業」ーーコラボは告知から1週間で50名満席、共鳴した理由は

サードプレイス・コミュニティ

人生を豊かにする手段としての「複業」ーーコラボは告知から1週間で50名満席、共鳴した理由は

告知から一週間で、申込は50名に達した。一般社団法人キャリアブレイク研究所が運営するコミュニティ「むしょく大学」と個人の複業挑戦を支援するスクール「複業アカデミー」の共催セミナー。企画したのは自分史ワークから複業を見つけていくという複業アカデミーを体感できるミニワークだった。なぜ、キャリアブレイク中の人たちは、複業とい

立ち止まる時間が、主体性の起点になるーーセルフリーダーシップを育む自分宛ての手紙

サードプレイス・コミュニティ

立ち止まる時間が、主体性の起点になるーーセルフリーダーシップを育む自分宛ての手紙

ただ受け止めてくれる場所を、私たちは持っているか忙しい毎日の中で、自分のことを考える時間はありますか。そう聞かれて、すぐに「ある」と答えられる人は、どれくらいいるのでしょうか。仕事をこなし、役割をこなし、周りと自分を比べながら一日が終わっていく。そのこと自体はもう、当たり前になりすぎていて、疑うことすら忘れてしまってい

概念が崩れていく場所が、いちばん面白い。「住み開き」をムーブメントにした近畿大学准教授が語る

キャリアブレイクとは何か

概念が崩れていく場所が、いちばん面白い。「住み開き」をムーブメントにした近畿大学准教授が語る

「家はこういうもの」「リビングはこういう使い方をするもの」——アサダワタルさんが2009年に「住み開き」というムーブメントを起こしたとき、揺さぶっていたのは、そういう空間についての当たり前だった。アサダワタルさんは、近畿大学文芸学部文化デザイン学科の准教授。自分のことを「場をつくる人」と呼び、肩書きとしてはアーティスト

キャリアブレイク白書2025が示したもの

実態・データ・白書

キャリアブレイク白書2025が示したもの

キャリアブレイクを「個人の経験」から「社会の現象」へ1. なぜ私たちは白書をつくったのかキャリアブレイク研究所が『キャリアブレイク白書2025』を発表した背景には、単にキャリアブレイク経験者の実態を調査したいという目的だけではなく、日本社会においてこれまで十分に言語化されてこなかった現象を、社会的な議論の対象として可視

キャリアブレイクとは何か

キャリアブレイクとは何か

キャリアブレイクとは何か

― 空白期間から「人生と社会を見つめなおす期間」へ ―キャリアブレイク概念の変遷2014年片岡亜紀子氏が「離職期間における変化」を研究テーマとして取り上げる。「離職期間は本当に空白なのか」という問いが出発点となる。2016年石山恒貴氏らの研究により、キャリアブレイクの初期定義が整理される。「離職期間のうち、その経験が後

韓国で暮らしながら、自分の問いを追いかける

当事者のヒストリー

韓国で暮らしながら、自分の問いを追いかける

「考えることが趣味なんです。」そう言って彼女は笑った。好き、ではなく趣味。韓国での暮らしについて聞くはずだったのに、気づけば話は「どう生きるか」という問いへ向かっていた。違和感を見逃さず、納得するまで考える。立ち止まることにも、働くことにも、決まった形はない。「私は何がしたいのか」「私はどうありたいのか」。問い続けるこ

vol.5 書籍「贈与経済2.0」が目指したもの——ゼロ地点に立ち戻れる社会

思想・歴史・海外事情

vol.5 書籍「贈与経済2.0」が目指したもの——ゼロ地点に立ち戻れる社会

渋谷で人のいない道を歩く哲学者荒谷氏は雑踏が嫌いだという。理由を聞くと、こんな答えが返ってきた。みんな流れに身を任せている体が本当に嫌なんですよ。ほとんど何も考えずに足を進めている。一般性に乗っかってさえいれば前に進めるという、その身体の状態に抵抗があります。システムのコードを身体に染み込ませている動きのように思えて。

vol.4 ゼロ地点に立つ、ということ——1から数えるのではなく、0から数える

思想・歴史・海外事情

vol.4 ゼロ地点に立つ、ということ——1から数えるのではなく、0から数える

前提を外すと、カオスになるのか哲学には「括弧に入れる」という作法がある。ある命題を、正しいとも誤りとも判断せず、いったん保留にする。その状態で思考を動かしてみる。荒谷氏が「ゼロ地点に立つ」と呼ぶのも、これに近い。ただし、対象はもっと根本的なものだ。私たちが「当たり前」と思って疑わずにいる、あらゆる前提そのもの。普通は1

vol.3 「肺がちっちゃくなっていた、それがなぜか面白かった」

思想・歴史・海外事情

vol.3 「肺がちっちゃくなっていた、それがなぜか面白かった」

「死んでみる」という解放を語った第2話の後、荒谷先生はこんな話を持ち出した。大学1年か2年のころ、しばらく息苦しい日々が続いていた。階段を少し上るだけで肩で息をする。友人に心配されて病院へ行き、レントゲンを撮ってもらったら、片方の肺がずいぶん小さくなっていた。医者には「あと何日かで壊死していた」と告げられた。「めっちゃ

vol.2 「死んでみる」という解放――フモール生活への入口

思想・歴史・海外事情

vol.2 「死んでみる」という解放――フモール生活への入口

フモールが単なる概念ではなく、日常の中で実践できる生き方の技術であることが明らかにする。キーワードは「死んでみる」。物騒に聞こえるかもしれない。しかしこれこそが、囚われた自分を解放する、もっとも根本的な方法だと荒谷氏は言う。デジタルデバイスを取り上げられた日々の中で荒谷氏には今年、隔週で身体を拘束されるような仕事が入っ

vol.1 「当たり前」を宙吊りにすること、そしてキャリアブレイクという余白

思想・歴史・海外事情

vol.1 「当たり前」を宙吊りにすること、そしてキャリアブレイクという余白

連載をはじめるにあたってタイトルにもなっている「フモール(Humour)」は、英語の「ユーモア」の語源となった言葉です。つづりを見て、はっとした人もいるかもしれません。この言葉の由来は、古代ギリシャ医学の体液説に由来し、喜劇的なバランスの崩れた人物を笑う風刺劇の用語を経て、英語へと渡りました。そしてデンマークの哲学者キ