Career Break Journal

概念が崩れていく場所が、いちばん面白い。「住み開き」をムーブメントにした近畿大学准教授が語る

概念が崩れていく場所が、いちばん面白い。「住み開き」をムーブメントにした近畿大学准教授が語る

「家はこういうもの」「リビングはこういう使い方をするもの」——アサダワタルさんが2009年に「住み開き」というムーブメントを起こしたとき、揺さぶっていたのは、そういう空間についての当たり前だった。

アサダワタルさんは、近畿大学文芸学部文化デザイン学科の准教授。自分のことを「場をつくる人」と呼び、肩書きとしてはアーティスト、文筆家、大学教員を掲げている。

経歴は一筋縄ではいかない。20代はバンドのドラマーとして音楽活動をしていた。20代後半からは、音楽という表現を拡張させたいという思いと、文化の仕事を自分で作っていきたいという思いから、大阪の地域コミュニティに関わるアートNPOで働き始める。

地域づくりや福祉の領域に関わる文化実践、アートプロジェクトを企画し、場所も運営する。そうした活動の延長で、2009年に自宅の一部を他者にゆるやかに開く「住み開き」というムーブメントを言い出した人物だ。

30代になると、その実践を本に書く機会を得て、社会実験的な色合いの強いアート活動を全国各地で展開していく。近年は障害福祉やケアの現場に関わることが増え、様々な背景を持つ人たちと音楽やダンス、美術を通じたプロジェクトを行いながら、ケアとアートの関係について書いている。40代からは大学で教員も務め、自分がやってきたことを研究という枠にも置きながら、学生に伝えている。

いろんな肩書きを持ちながら、ずっと変わらずに持ち続けている問題意識がある。異なる背景を持つ人たちが、一つの文化的な活動を通じて——わかり合えないままだったとしても——共にいられる場を、どうやって作るか。

キャリアブレイクという「文化」をどう育てていくか。その相談相手として、私はアサダさんに会いに行った。住み開きという文化を実際に育ててきた人だからこそ、見えている景色があるはずだと思ったからだ。

手法ではなく、文化として育てる

住み開きが広がっていくにつれて、アサダさんのもとには「まちづくりの手段として有効だ」「空き家対策に求められる」という声が次々と届くようになった。2011年、震災の直後という時期も重なって、コミュニティづくりや地域の課題解決という文脈で、住み開きは求められていった。

「それは悪いことではない」とアサダさんは言う。むしろ貢献できることがあるなら、一緒に場を作りたいという気持ちもあった。ただ、そこで自分の中に、ひとつの分かれ目があった。

課題解決の文脈のみで語られていくと、住み開きが手法になっていく。それを全否定はしませんが、自分が正直に何でやっているかを突き詰めて考えると、手法というよりは、一つの表現としてやっている感覚が強かったんです。

アサダさんが住み開きを始めたとき、本当にやりたかったのは、プライベートな空間がちょっと漏れ出す面白さを、知らない人同士で味わうことだった。誰かがホストになった家のキッチンに入り、誰かがご飯を作り、誰かが洗い物をする。そうやって関係性が少しずつ組み替えられていく、そのライブ性そのものを広げていきたかった。

だからアサダさんは、住み開きを意識的に「文化」あるいは「ムーブメント」として育てていく方を選んだ。一つの言葉から生態系のようなものを作っていく感覚があった、という。手法として広まる道もありながら、それだけにはしない——表現として味わわれ、ゆるやかに人から人へ伝わっていく方を、自分の手で育てようとしたのだ。

この感覚は、キャリアブレイクという文化を育てようとしている私自身にも、強く刺さるものだった。キャリアブレイクが「課題解決の手段」として企業や行政に使われることは、悪いことではない。むしろ歓迎したい。それでも、文化として育てるという選択を、誰かが意識的にし続ける必要がある。アサダさんの言葉は、その選択を後押ししてくれるものだった。

当たり前という認識を、塗り替える面白さ

なぜアサダさんは、課題解決ではなく「味わうこと」にこだわったのか。話を聞いていくと、その根っこには、もっとシンプルな衝動があった。

「家はこういうもの」「人と何かイベントをやるときは、どこかを借りるものだ」——多くの人が当たり前だと思っている空間の認識自体が、住み開きによって崩れていく。アサダさんはそのことが、ただ純粋に面白かったという。

違う認識で場を塗り替えていくこと自体がすごく面白い。ある種のハッキングというか、ライフハック的な感覚です。

その感覚は、アサダさんが長年やってきたこと——音楽を作り、場をプロデュースしてきたこと——と地続きだった。

自分が作っているものが、たまたま概念だったりコンセプトだったりした、というだけなんです。音楽を作るように、考え方を一つの表現としてやっている感覚が強かった。

当たり前を疑うこと、概念を崩すこと自体が、アサダさんにとってはアートだった。完成された作品を残すことではない。知らない人同士が出会い、誰かが作ったご飯を食べ、誰かが洗い物をして、関係性が少しずつ組み替えられていく——その時間、その空間の配置が変わっていく、ライブ性そのものを味わうこと。それが表現なのだ、と。

いろんな人からその工夫を知りたいし、いろんな人を知ったら、僕もこんな時間の作り方、空間の作り方があるよねって伝えたい。

この話を聞いて、私はキャリアブレイクという概念が崩しているのが「時間」だということに、改めて気づかされた。「仕事は途切れてはいけない」「休んでいる時間は無駄だ」という当たり前。キャリアブレイクは、住み開きが家の概念を崩したのと同じやり方で、時間という概念を崩している。

崩れていく場所が、いちばん面白い。その直感が、文化として何かを育てようとする人たちの、共通の出発点なのかもしれない。

時間を、救い出すという発想

アサダさんは最近、ケアの現場にまつわる連載を書きながら、時間論の本を読み続けているという。

障害のある人、認知症の当事者と一緒に何かをするとき、福祉の現場には決まった時間割がある。「この時間は入浴介助の時間」「次の送迎まで何時何分」——そのきっちりと組まれた時間の中では、たとえば、人生の先輩であるはずの高齢者の話を、ゆっくり聞くことすらできない。

アサダさんがアーティストとして現場に入り、スタッフに行動と態度で伝えてきたのは「時間感覚を緩めに見る」ということだった。ダンスをすること、絵を描くこと——それ自体が目的ではなく、時間の過ごし方がもっと色々あるんじゃないか、と考える機会を作ること。

世の中で平積みにされる時間の本は、圧倒的に時間活用術の本なんですよね。生産性を上げる、タイパを上げる方向に、時間をどんどん圧縮していく。

そんな中でアサダさんが出会ったのが、ジェニー・オーデルの『Saving Time』だった。一人の人間の中の時間感覚は、本来同じではない。植物園にいろんな植物の時間軸があるように、人にもそれぞれの時間軸がある。効率化を追い求めても、人はそれで幸せになることはない——そう書かれた本に、アサダさんは救われたという。

自分の仕事量を考えても、それはすごく喫緊の課題だったんです。『やばい、このままだと』と思っていたので。

そして、その時間論を読み進めるうちに、アサダさんはキャリアブレイクという概念に新しい輪郭を見出した。

キャリアについての途切れというのは、途切れというよりは、自分の時間感覚を救うために必要な余白だって考えられるんじゃないか。

仕事が途切れることを、ブランクと呼ぶか、ブレイクと呼ぶか。住み開きが「家は開いてもいいんだ」と気づかせたのと同じように、キャリアブレイクは「時間も、こう使ってもいいんだ」と気づかせる。それを社会に説教するのではなく、いい感じに文化として存在させること。アサダさんは、住み開きもそうやって育ててきたのだと言う。

住み開きも、説教もしていないし、殊更に推奨もしていない。なんだかアートとして存在している感じがあるじゃないですか。

住み開きという文化を意識的に育てた先輩は、キャリアブレイクという文化を育てようとする私に、こう言っているように聞こえた。手法として使われることを恐れず、それでも文化として味わわれる部分を、自分の手で育て続けること。

概念が崩れていく場所は、たしかにいちばん面白い。その面白さを、説教でも推奨でもなく、文化としてどう育てていくか——その問いを、これからも考え続けていきたいと思います。

2026年06月30日

PARTNER

アサダワタル

アサダワタル

場をつくる人/アーティスト・文筆家

音や声、言葉を手がかりに、人と人が関わり直す「場」を 作品として各地で創出。ケア、コミュニティ、教育、アートの現場を横断しながら、「住み開き」や「当事場」といった一連の概念を提唱している。演出プロジェクトに「東京カスタムドラムセット」(東京芸術劇場)、「ラジオ下神白」(福島県いわき市)、著書に『当事場をつくる』(晶文社)、『住み開き増補版』(筑摩書房)、『想起の音楽』(水曜社)、CDに『福島ソングスケイプ』等。博士(学術)。近畿大学文芸学部准教授。

WRITER

北野 貴大

北野 貴大

代表理事 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所

2014年にJR西日本グループに新卒で入社し、都市開発に従事。妻のキャリアブレイクをきっかけに、キャリアブレイク中の人のための宿「OKAYU HOTEL」を2021年にスタート(現在は奈良で運営中)。退職後、一般社団法人キャリアブレイク研究所を理事2人と共に2022年に設立。2023年より、大阪公立大学大学院経営学研究科付属イノベーティブシティ大阪ラボ特別研究員。

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