「社内サードプレイス」は、会社の中に余白をつくれるのか
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―社内サードプレイスという可能性―
近年、多くの企業で「社内サードプレイス」や「企業内コミュニティ」と呼ばれる取り組みが広がっている。部署や職種を越えて集まり、業務とは直接関係のないテーマについて語り合う場である。
それらはしばしば、イノベーション創出やエンゲージメント向上といった文脈で語られる。しかし今回、私たちが関心を持ったのは少し違う問いだった。
もし企業の中に、役割だけではない自分を持ち続けられる場所があるならば、人はわざわざ立ちどまる必要がなくなるのだろうか。
あるいは逆に、そのような場所がないからこそ、人は会社の外に居場所を求め、時にキャリアブレイクという選択に至るのだろうか。
キャリアブレイク研究所では、キャリアブレイクを「人生と社会を見つめなおす期間」と定義している。仕事から離れることそのものを推奨したいわけではない。私たちが問い続けているのは、人がどのような環境の中で、自分自身との対話を取り戻せるのかということである。
今回お話を伺ったのは、自身も多様な働き方を経験しながら、サードプレイスや女性の離職期間、キャリアブレイクの研究を進める片岡亜紀子氏である。対話を通して見えてきたのは、社内サードプレイスとは単なるコミュニティ施策ではなく、現代の働く人が抱える「役割化」の問題と深く関わる存在であるということだった。
1. 社内サードプレイスは「何かを生み出す場」なのか
社内サードプレイスという言葉には、どこか前向きで先進的な響きがある。
新しい価値を生む場。
イノベーションを起こす場。
企業文化を変革する場。
実際、多くの企業事例はそうした語りとともに紹介される。
しかし今回の対話の中で浮かび上がったのは、「社内サードプレイスは何かを生み出す場なのか」という問いよりも、「社内サードプレイスは何かを失わないための場なのではないか」という問いだった。
人は組織の中で役割を持つ。
営業担当。管理職。専門職。役割は必要である。しかし同時に、人を役割の中へ閉じ込めてしまうこともある。
同じ部署、同じ人間関係、同じ仕事を繰り返す中で、自分が何に興味を持っていたのか、何を面白いと思っていたのか、少しずつ見えなくなっていくことがある。
片岡氏は、実際に企業事例を見ていても、参加者の動機は決して一様ではないと語る。
横のつながりを求める人。孤立を防ぎたい人。仕事以外の自分を保ちたい人。新しい視点に触れたい人。
社内サードプレイスは、そうした多様なニーズを受け止める場になっている可能性がある。そう考えると、社内サードプレイスは新しい何かを創り出す前に、まず「失われつつある何か」を守るための装置として理解できるのかもしれない。それはイノベーションのための場というよりも、人が役割だけの存在にならないための場である。
2. 人はなぜ『もう一本の柱』を必要とするのか
対話の中で繰り返し語られたのが、「二本目の柱」という感覚だった。
片岡氏自身、四十代で大学院へ進学した経験を振り返りながら、その場所は当初「逃げ場」だったと語る。仕事だけを続けていることへの不安。このままで良いのだろうかという違和感。そんな感覚を抱えながら、新しい世界へ足を踏み入れた。しかし、その経験は単なる逃避では終わらなかった。研究という新しい営みに触れたことで、「まだ自分にも新しい可能性がある」という感覚を得たという。
興味深いのは、この構造がキャリアブレイクともよく似ていることだ。
人は必ずしも前向きな理由だけで立ちどまるわけではない。違和感や疲労、不安から始まることも多い。しかし、その時間を通して新しい視点や新しい自分に出会う。社会人大学院には、会社だけでは支えきれない何かを抱えた人が少なくないという。会社という一本の柱だけで生きるのではなく、研究や学び、趣味や地域活動といった別の柱を持つことで、人は安定を取り戻していく。社内サードプレイスもまた、その柱の一つになり得る。
会社を辞めなくても。休職しなくても。働きながら役割以外の自分を持ち続ける。その可能性を内包しているのである。
3. 「社内」であることが生む可能性と限界
しかし、社内サードプレイスには独特の難しさがある。
地域のサードプレイスや趣味のコミュニティと異なり、そこは完全には会社から自由になれない場所だからだ。
評価、人事、昇進、組織内の人間関係。そうした文脈を完全に切り離すことはできない。参加者はどこかで、「ここで話したことはどう受け取られるのだろう」と考えてしまう。社内サードプレイスは、自由な場でありながら、完全には自由になれない。
一方で、その制約は強みにもなる。同じ会社で働くからこそ共有できる現実がある。共通言語がある。同じ課題に向き合っているからこそ生まれる共感がある。片岡氏は、この中間的な性質こそが社内サードプレイスの面白さだと語る。
完全に自由ではない。しかし完全に組織の論理だけでもない。その曖昧な領域に、新しい居場所の可能性がある。
さらに調査を進める中で見えてきたのは、「社内サードプレイス」という言葉を使っていない企業にも、同様の機能を持つ場が数多く存在するという事実だった。キャリアブレイクという言葉がなくてもキャリアブレイク的な経験が存在するように、社内サードプレイスという名称がなくても、人を支える居場所は確かに存在している。
4. 場はどう生まれるのか
文化は小さな共感から始まる。社内サードプレイスについて語るとき、私たちはつい「どのような制度を作るか」という話をしてしまう。
しかし実際に企業の中で場が立ち上がる過程を見ていくと、制度より先に存在しているものがある。
それは、人である。
片岡氏が調査した企業でも、最初から大きなコミュニティが存在したわけではなかった。小さな勉強会。雑談の場。興味関心を共有する数人の集まり。そこから少しずつ共感する人が増えていった。興味深かったのは、その多くに「旗振り役」が存在していたことである。
その構造は、キャリアブレイクを企業に広げようとする人たちにもどこか似ている。一人で文化を変えようとすると、心が折れてしまいそうだ。だからまずは共感してくれる仲間を探す。いきなり経営層を説得するのではなく、小さな実践から始める。文化とは制度によって生まれるものではなく、人と人との共感の積み重ねによって育っていくものなのかもしれない。社内サードプレイスもまた、そのようにして生まれてきたのである。
5. 「好き」は、人を動かす
対話の終盤、話題は意外な方向へ向かった。
人は何があると頑張れるのだろう。
何かに夢中になること。何かを面白いと思うこと。それは一見すると仕事とは無関係に見える。しかし実際には、その人の世界を広げ、明日を生きるエネルギーになっている。社内サードプレイスも、キャリアブレイクも、本質的には同じ場所を見ているのかもしれない。
それは生産性ではない。制度でもない。人が「この世界はまだ少し面白いかもしれない」と感じられること。役割だけではない自分に出会えること。そして、その感覚が再び働く力になること。社内サードプレイスはキャリアブレイクを不要にするのか。その問いに、今はまだ答えられない。
しかし少なくとも言えるのは、人は役割だけでは生きていけないということである。
だからこそ私たちは、企業の中にも、社会の中にも、立ちどまることのできる「縁側」のような場所を探し続けている。
今回の対話が残したのは結論ではない。むしろ新たな研究課題だった。
企業の中に居場所があることは、人を支えるのか。
役割以外の自分を持ち続けることは、働くことを豊かにするのか。
そして、人は本当に立ちどまらずとも、自分自身を見失わずに生きていけるのか。
その答えを探すために、私たちはこれからも企業の現場に足を運び、一つひとつの実践を記録していきたい。
2026年06月14日
PARTNER

片岡亜希子
千葉経済大学 経済学部 准教授
法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了、博士(政策学)。NEC、教育事業会社等を経て現職。 専門分野は経営学。主な研究テーマはキャリア形成、地域のサードプレイス。 主な著書に『地域とゆるくつながろう!:サードプレイスと関係人口の時代』(共著、静岡新聞社)、『キャリアブレイク 手放すことは空白(ブランク)ではない』(共著、千倉書房)
WRITER

卜部 小夜子
月刊無職, mada books運営 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所 理事
2020年合同会社うみのなか商店設立。障害の有無にかかわらず、"誰もが健康的にはたらく暮らしができる社会"を目指し、おしゃべりできる図書室「あかり図書室」、就労事業所とともに世界に通用するブランドをつくる「北浜縫製」を運営。2022年より一般社団法人キャリアブレイク研究所に設立時理事として関わり、離職・休職をポジティブに捉える「キャリアブレイク」を文化にする活動を行う。毎月6日に発刊する『月刊無職』、"まだの時間"を楽しむ書店「mada books」の企画運営を担当。精神保健福祉士、就労福祉ワークデザイナー、産業カウンセラー。
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