キャリアブレイク中の人が地方に根を張るまで――「地域の魅力」ではなく、「信頼」が人を動かす

1ヶ月のつもりが、8ヶ月になっていた。
田中みずきさんが岡山県真庭市に来た理由は、真庭が好きだったからではない。むしょく大学のSlackで、ローカルキャリア真庭の運営者を知っていたからだ。「この人なら信頼できる」という感覚が先にあって、真庭という場所はあとからついてきた。
移住を計画していたわけでもない。1ヶ月のキャリアスクールに参加しただけのつもりだった。
キャリアブレイク中の人が地方に向かうとき、「地域の魅力」より先に動くものがある。人の転機を受け止めてくれる場所への、信頼だ。
「休んでもいいんだ」と知るまで
みずきさんは新卒で、地元・兵庫県北部の小さな町役場に就職した。公務員ならホワイトだろう——そんなイメージは、働き始めてすぐに崩れた。
広報担当として、土日も取材やイベントに出向き、締め切りに追われながら広報誌を作り続けた。頑張って作ったものを全否定される日々が続き、心身に限界が来た。受診した病院で「適応障害だから休職した方がいい」と言われ、一度は復帰したものの、また同じ状態に戻った。
2度目の休職。そのとき、一冊の本に出会う。
YouTuberのフリーランスの人が動画の中で持っていて、『これ読んでめっちゃ良かった』って言っていたのがキャリアブレイクの本で。初めて聞く言葉だったので興味を持って読んでみたんです
復帰か、転職か。その2択しか頭になかったとき、「キャリアブレイク」という第三の選択肢を知った。
社会的には、離職してお仕事がない状態だと『え、大丈夫なの?』っていう否定的な意見が多い。その中で、こういう選択肢があるって知れて、世界がちょっと広がった感じがしました。延々と働き続けるだけの人生ってやっぱりしんどいし、どこかで立ち止まって、本当にやりたいことを考えられるっていうのに、納得感があった
本を読んだ頃、ほぼ同じタイミングで「むしょく大学」の存在を知る。退職1ヶ月前のことだった。
否定されない場所で、はじめて話せたこと
入会してまず驚いたのは、Slackの中に同じ状況の人がこんなにいるということだった。
私がいたのは小さい町で、同世代の人自体も少ないし、休職中だとか、キャリアに悩んでいることを言える人がいない環境だったんです。Slackを見ているだけで、こんなに同じ状況の人がいるんだって。
参加したオンラインイベントで、初めて自分の抱えていた不安を話した。初対面の人たちが、否定せずに受け止めてくれた。
むしょく大学の人は誰も否定しない。きつい言い方をしない。すごく安心して身を置ける場所でした。
転機のさなかにいる人間にとって、「否定されない」ということが、どれほど大きいか。みずきさんはこの経験を通じて、それを体で知った。そしてこの「安心感」が、のちに真庭行きを決める判断の根拠になる。

「信頼できる人がいる場所」だから、行けた
むしょく大学に入ってしばらく経った頃、みずきさんはフリーランスという働き方を知り、キャリアスクールを探し始める。オンラインのものも含めていくつか調べていたとき、「ローカルキャリア真庭」という名前が目に留まった。
Slackを見てみたら、これをやっている人が無職大学にいることがわかって。岡山県なら、今いる兵庫県北部からでも行ける距離だなって。
移住は、最初から選択肢に入っていたわけではない。
全然なかったです。本当にたまたま岡山だった。たまたま真庭だった。もっと都会な場所だと思っていたら、結構ローカルなところで、最初はびっくりしたんですよ。
それでも「えいや」と申し込んだのは、むしょく大学を通じて知った人が運営していたからだ。
無職大学で発信できる人なら、怪しい場所じゃないだろうなって。その安心感はかなり大きかったですね。
真庭の魅力を知って来たわけではない。真庭に関わる人を、先に信頼していたから来られた。この順番は、見落とされがちだが、決定的に重要だ。
受け止めてもらえる場所で、人は変わる
真庭に来た初日、街を歩いていてすれ違った初対面の人に話しかけられた。
『どうして真庭に来たんですか?』って聞かれて。休職中でこういう経緯で、って話をしていたら、自然と深い話になっていって。同じ田舎育ちのはずなのに、こんなに違うんだってびっくりして。
詮索されているとは感じなかった。むしろ、話しながら自分でも気づいていなかった「なぜここに来たのか」を整理できた。
自分の行動の原点って何なんだろうって、ハッとさせられた感じでした。
ローカルキャリア真庭は、フリーランスとしての実務スキルを学びながら、受講生とメンター講師が同じ町で生活をともにするプログラムだ。講座の時間以外も、街に出て、地域の人と話す。出会う人たちは、東京から移住してきて生き生きと働いている人たちだった。
ローカルキャリアを受け始めた頃はまだ精神が回復しきっていなかったのに、なんか自然と元気になっていた。
担当のメンター講師との対話も、みずきさんにとって初めての体験だった。
親にも話したことがないくらい、全てを話しました。泣きながら話したこともあって。でも否定されない。人格を馬鹿にされない。他人の人生なのに、こんなに親身に真剣に悩んでくれるんだって。そういう人に出会えたのが、一番大きかったかもしれないです。
むしょく大学でも、真庭の街でも、メンターとの対話でも——みずきさんの周りで起きていたのは、一貫して同じことだった。転機のさなかにいる自分を、ちゃんと受け止めてもらえる経験だ。

帰れなくなった理由
1ヶ月のプログラムが終わるとき、実家に帰る予定があった。それが覆ったのは、ある恐怖心からだった。
せっかく一ヶ月いろんな人と出会って、新しい価値観をたくさん得たのに、実家に戻ったらそれが消えてしまうんじゃないかって、ふと思って。
この町の空気そのものも、みずきさんを引き止めた。
町並み保存地区の伝統的な建物が並んでいて、土塀があって、町の人たちがいつも楽しそうにしている。この景色と空気が、自分の心をすごく楽にしてくれる感覚があって。
その後、たまたま行ったカフェで地域の人に出会い、「来月から人が足りないんだよね」という話から仕事が決まった。地元メディアの取材ライティング、ホームページやチラシのデザイン、移住相談を受け付ける地域の会社でのアルバイト——気づけば、真庭での生活が少しずつ形を持ち始めていた。
たまたま行ったカフェで、たまたまその人の知り合いが求人を募集していて、来月の仕事が決まったみたいな。そういう偶発的な出会いでどんどんつながっていくのが、今でもびっくりするくらい面白いです。
取材時点で、みずきさんは真庭市内でゲストハウスの開業準備を進めていた。これもまた、偶然の出会いから生まれた話だ。ローカルキャリア真庭がつないでくれた知り合いが「ゲストハウスをやりたいけどデザイン系が苦手」と相談してきて、「じゃあ私が」と動き出した。
「自分で決めた」という感覚
インタビューの最後、みずきさんはキャリアブレイクをこう振り返った。
進み出すためのエネルギーすらない状態で、一度立ち止まって本当に何がしたいかを考える期間だったと思います。その先の行動をちゃんと納得できるものにするための、予備期間。
そして、こう続けた。
親が言うから、家族が言うから——ずっとそうやって進んできたんですけど、キャリアブレイクの間に、初めて自分の頭で考えて、自分で情報を集めて、自分で進む方向を決めた。
都会でも同じことができたかと聞くと、首を振った。
地方だから、よりできたと思っていて。川の音が聞こえて、風が吹いているだけの空間の方が、自分と向き合えた。より自然で、素直な言葉が出てきた。
みずきさんが真庭に来たのは、真庭を知っていたからではない。むしょく大学という場所で、転機のさなかにいる自分を否定されなかった経験が先にあって、その延長線上に真庭があった。
地域が関係人口を増やしたい、移住者を呼び込みたいと考えるとき、「魅力的な地域であること」は必要条件だが、十分条件ではない。キャリアブレイク中の人が動くのは、「信頼できる人がいる」という感覚があったときだ。
人の転機を受け止める構えが、地域にあるかどうか。それが、関係人口から移住者が生まれるかどうかの分岐点になる。
2026年05月23日
PARTNER

キャリアブレイク経験者
みずきさん
元兵庫県内行政職員。心身の不調をきっかけにキャリアブレイクへ。むしょく大学を経てローカルキャリア真庭に出会い、岡山県真庭市に移住。現在は地元メディアの取材ライティング、デザイン、移住相談窓口でのアルバイトなど複数の仕事を掛け持ちしながら、ゲストハウスの開業準備中。
WRITER

北野 貴大
代表理事 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所
2014年にJR西日本グループに新卒で入社し、都市開発に従事。妻のキャリアブレイクをきっかけに、キャリアブレイク中の人のための宿「OKAYU HOTEL」を2021年にスタート(現在は奈良で運営中)。退職後、一般社団法人キャリアブレイク研究所を理事2人と共に2022年に設立。2023年より、大阪公立大学大学院経営学研究科付属イノベーティブシティ大阪ラボ特別研究員。
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