Career Break Journal

vol.1 「当たり前」を宙吊りにすること、そしてキャリアブレイクという余白

vol.1 「当たり前」を宙吊りにすること、そしてキャリアブレイクという余白

連載をはじめるにあたって

タイトルにもなっている「フモール(Humour)」は、英語の「ユーモア」の語源となった言葉です。つづりを見て、はっとした人もいるかもしれません。

この言葉の由来は、古代ギリシャ医学の体液説に由来し、喜劇的なバランスの崩れた人物を笑う風刺劇の用語を経て、英語へと渡りました。そしてデンマークの哲学者キルケゴールは、この言葉を実存の問題として引き取り直しました。人生を悩み抜いた末にたどり着いた、一つの境地として。

キルケゴールのフモールとは、自分を笑える力です。人を嘲笑することでも、状況を茶化すことでもなく、当たり前の外側に立って面白がる、といった方が近いかもしれません。

社会の規範や役割に絡め取られていると思い込んでいた「自分」を、ストンと手放す瞬間。その軽さの中に、人生や社会をひらくパワーがある。私たちが「フモール生活」という連載を始めたのは、この概念が今の日本社会に必要だと感じているからです。

それを1つのライフスタイルとして提案するために「生活」という言葉を付け「フモール生活」というタイトルになりました。概念を提唱するだけではなく、このライフスタイルが実現する社会像について対話を深めていきます。

それは、荒谷先生が提唱する「贈与経済2.0」であり、北野貴大が提唱する「キャリアブレイク」です。この連載が、人文・社会科学の研究者にも、キャリアブレイクに関心のある方にも、新しい問いを開く入口になれば幸いです。

荒谷大輔(あらや・だいすけ)

慶應義塾大学文学部哲学専攻所属。専門は哲学・倫理学。「哲学を実践する」ことを一貫したテーマとし、概念研究を社会実装へとつなぐ活動を展開する。現在、資本主義的価値観を問い直す「贈与経済2.0」プロジェクトを推進し、著書執筆と社会実証実験を並行して進めている。理性的対話の欺瞞性や民主主義の再考など、現代社会が「当たり前」とする前提を哲学的に掘り起こす研究に取り組む。

北野貴大(きたの・たかひろ)

一般社団法人キャリアブレイク研究所代表理事。キャリアブレイク——一時的な離職・休職によって人生と社会を見つめ直すヨーロッパ発のカルチャー——を日本に根づかせるための研究・普及活動を行う。著書『キャリアブレイクという選択肢』をはじめ、企業・自治体との連携や数千名規模のコミュニティ運営など、概念の社会実装を多方面から推進している。

哲学者は、なぜ「社会実験」をするのか

荒谷氏は慶應義塾大学で哲学を研究しているが、その肩書だけでは捉えきれない。「哲学を実践する」という言葉を、彼は本気でやっている。著書を書くかたわら「贈与経済2.0」と名づけた社会実証実験を同時並行で進め、概念と現実のあいだを往復し続けている。

哲学研究するのが仕事なので、社会実装するところは業績としてはほとんど何もカウントされないですね。結構持ち出しでやってるところはありますが、やったからって、「へぇー」みたいな。

同業者には「なんかやってるみたいじゃん」と冷やかされ、遠巻きに見られる。それでもやるのは、「楽しくて」「やらなくちゃいけないと思って」いるから、と彼は言う。

研究者がキャリアとしての合理性を度外視して、概念を社会に問いかけようとする。それ自体が一種のキャリアブレイクとも言えるかもしれない。私がこの会話で直感したのは、そういうことだった。

「当たり前」という不可視の檻

哲学が得意とするのは、「当たり前」の解体だ。荒谷氏はそれを、こう説明する。

みんなが「それは当然だよね」って言ってるものを「本当にそうでしょうかね」みたいにちょっとくどく問い直していくが、哲学のやり方だと思っています。元ネタをたどっていくと、どうしようもないロジックだったり、ツッコミどころ満載の議論だったりする。それがなんか偉そうな権威付けをされているだけで。

歴史の地層を掘れば、今の「常識」がじつは偶然の積み重ねだったり、特定の時代に誰かが作り上げたものだったりすることがわかる。それが見えると、その常識に縛られ続ける必要がなくなる——。これが哲学的な「解放」の作法だ。

キャリアブレイクも、同じ構造を持っている。「学校を出たら働く」「一度離職したら不利になる」。そうした前提を人々は内面化し、疑うことすら思いつかない。いや、疑うと「やばいやつ」に見られる。

みんな当たり前だから、それを疑うとなんか反社会的だとか、やばいやつとか思われたりすることもあるわけじゃないですか。みんなこうやって我慢しながら仕事してるんだし、それを理解するのが大人になるってことなんだよみたいな。

「当たり前」は、問われないまま自明のものとして機能する。哲学の言葉を借りれば、それは「イデオロギー」の作動様式そのものだ。そしてキャリアブレイクは、その自明性に最初の亀裂を入れる行為でもある。

フモールとは何か——自分を「宙吊り」にすること

では、哲学的にその縛りを解くには、どうすればいいのか。荒谷氏がたどり着いた答えの一つが、キルケゴールの「フモール(Humour)」という概念だ。

フモールの語源は古代ギリシャ医学にある。ガレノスの四体液説——身体の不調は体液バランスの乱れによる、という理論——に由来し、そこから転じて喜劇的な「バランスを欠いた人物」を笑う風刺劇の用語となり、英語の「Humour(ユーモア)」へとつながる。

キルケゴールはこの概念を実存哲学の文脈で再解釈した。人生の諸問題を悩み抜いた末に彼がたどり着いたのは、「自分を笑う」という立ち位置だった。

自己卑下は、自分を守るためだったり、社会的な規範との関係で自分を位置づけて逆に「自分」が強く出るような感じがしますけれど、キルケゴールの場合はもう完全に「自分なんかいたっけ」っていう感じで、社会規範の方も宙吊りにするやり方です。

自分を「無化」する。それによって、社会規範の内面化もキャンセルされる。これは自己否定でも卑下でもない。自己を透明にすることで、規範という名の「当たり前」を相対化する、一種の認識論的な戦略だ。

「フモール生活」とはそれは単なる「笑いのある暮らし」ではない。自分という固い核を解いて、他者や社会と緩やかに関わりながら、それでも「当たり前」に吞み込まれない——そういう生の様式のことだ。

「おもしろがる」が転機をひらく

キャリアブレイク研究所が大切にしていることの一つに、「キャリアブレイクをおもしろがる」という姿勢がある。危機として救済するのではなく、文化として享受する。一見すると楽天的に聞こえるこの態度が、じつはフモールという哲学的概念と深いところで響き合っている。

フモールとは、自分を宙吊りにすることで「当たり前」の重力から抜け出す身振りだ。そして「おもしろがる」という態度もまた、対象を固定した意味から解き放ち、別の角度から眺め直す認知の運動だ。「これは失敗だ」「遅れている」という判断を一旦括弧に入れて、「これはいったい何だろう」と好奇心の目で見る——その瞬間、キャリアブレイクは問題から現象へと変わる。

哲学が「当たり前」の歴史的偶然性を暴くことで人々を解放しようとするなら、キャリアブレイクの文化は「当たり前」のリズムから外れた経験をおもしろがることで、その偶然性を身体で生きようとする。両者は異なるアプローチをとりながら、同じ地平を目指している。

「フモール生活」というこのラジオが探ろうとしているのも、そこだ。知的に解体するだけでなく、生活のなかでそれをどう実践するか。おもしろがるという態度が転機を開く方法論になりうるという仮説を、対話しながら検証していく。

2026年05月06日

PARTNER

荒谷大輔

荒谷大輔

慶應義塾大学文学部教授/江戸川大学名誉教授

専門は倫理学・哲学。近現代フランス思想、とりわけジャック・ラカンに依拠した精神分析を主たる研究領域とする。近年は資本主義以後の社会モデルに関心を寄せ、著書『贈与経済2.0』において貨幣に代わる価値の媒介としての贈与の制度化を構想。理論と実践を往還する姿勢を貫いている。

WRITER

北野 貴大

北野 貴大

代表理事 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所

2014年にJR西日本グループに新卒で入社し、都市開発に従事。妻のキャリアブレイクをきっかけに、キャリアブレイク中の人のための宿「OKAYU HOTEL」を2021年にスタート(現在は奈良で運営中)。退職後、一般社団法人キャリアブレイク研究所を理事2人と共に2022年に設立。2023年より、大阪公立大学大学院経営学研究科付属イノベーティブシティ大阪ラボ特別研究員。

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