「10年働いたので、立ち止まってみたかった」——在職中にみかん農園で1ヶ月を過ごした、ある会社員の話

パナソニックコネクト株式会社に勤める山内さんは、2025年11月から12月にかけて、会社を辞めることなく1ヶ月間の休暇を取得した。向かった先は和歌山県のみかん農園。毎朝7時から日没まで、ただひたすらみかんを収穫する日々。スマートフォンもパソコンも、ほとんど触れなかった。
これはいわゆる「バーンアウト」の話ではない。「疲れたから逃げた」でもない。11年のキャリアを持ち、仕事への不満があったわけでもない一人の社員が、なぜ、どのように「キャリアブレイク」を選んだのか。その実態は、人事や経営者が思い描くものとは、少し異なっているかもしれない。
[インタビュイーの紹介]

パナソニックコネクトグループ勤務
SEとして、ホールや会議室などの空間に導入される音響システムの設計・提案から納入までを担当。入社以来、音響・映像領域の現場支援に携わり、今年で12年目。キャリアブレイクに関する講演をきっかけに、会社の休暇制度を活用して和歌山県で行われている「蜜柑援農」に参加。1ヶ月間、みかんの収穫作業を行いながら地域での暮らしや農業の現場を体験した。現在はその経験も踏まえ、会社の外での学びやサードプレイスの可能性について関心を持っている。好物:みかん
モヤモヤの正体は、「飽き」でも「不満」でもなかった
山内さんが抱えていた感覚は、一言で表すのが難しい。
仕事に不満があったわけじゃないです。でも、このまま同じ仕事をあと10年、20年続けるのかな、と思うと、じっくりこない感情もあって。
キャリア12年目、30代に入り、周囲の友人が育休で1年離れたり、同僚が転職したりするのを見ながら、彼女は自分の立ち位置を静かに考え始めていた。モチベーションが「下がった」というより、「これ以上高くならないかもしれない」という、じわじわとした予感。それが正直なところだったという。
転職は考えなかったのか、と聞くと、興味深い答えが返ってきた。
転職はあまり考えたことがないですね。家から出たことがないのに、海外旅行に行こうとしている感じがしていて。それに今の仕事はやりがいがあるし、まず自分の身近な環境で、自分のマインドをコントロールできたらなって思っています。
これは、個人の性格の問題ではない。労働社会学や組織行動論の文脈で言えば、成熟社会における「意味の希薄化」が引き起こす現象に近い。産業革命以降、肉体労働から頭脳労働へ、そして今日の「感情労働」へと、仕事の本質は変化してきた。自分の労働が何につながっているかが見えにくくなればなるほど、人は意味を問い始める。18世紀のイギリスで産業化が進む中で社会現象となり、20世紀のフランスでバカンス文化が「国策」として制度化された背景にも、同じ人間的な反動がある。山内さんの「モヤモヤ」は、怠惰でも弱さでもなく、成熟した社会に生きる人間が必然的に経験するものだ。
「10周年」という、個人的な節目
決断の直接のきっかけは、「キャリアブレイク」という概念との出会いだった。社内研修で行われた一般社団法人キャリアブレイク研究所のセミナーでその考え方を知り、「これだ」と感じた。しかし、それ以前からすでに、10年の節目に「何か特別なチャレンジをする」という構想はあった。

5年目の時は、それほど節目って感覚はなかった。5年だと小学生よりは少し短いかな、くらいで。でも10年は、、よく頑張ったなって思った。周りには10年、20年超のキャリアを持つ方がたくさん居らっしゃるので、続けていれば当たり前に来るなんてないことかもしれないけど。私自身が迎えて感じたのは、よくやった自分って感覚でした。
毎年誕生日には勤労をしないと決めている。そして「記念ごとが好き」という感覚が、キャリアの節目とも結びついた。物を買うのもピンとこない、旅行は特別感が薄い——そこに「キャリアブレイク」という選択肢が現れたとき、彼女の中でぴたりとはまった。
企業の人事担当者にとって、この話が示すことは少なくない。社員が長期休暇を取ろうとするとき、その動機は「疲労回復」だけではない。キャリアの文脈における自己確認、節目を意味あるものとして刻みたいという欲求——それは、成熟した優秀な人材ほど強く持つ志向性かもしれない。
「どう調整していったらいいですかね」——社内コミュニケーション の作法
山内さんのキャリアブレイク取得において、最も実務的に参考になるのは、社内でのコミュニケーションのプロセスだろう。
7月の部内ミーティングで「キャリアブレイク」の考え方をシェアしたタイミングがあった。 部長や他チームのマネージャーも同席する場で、みかん農園のことを自然に話題に出し、「実はちょっと狙っているんですよね」と伝えた。そこから4ヶ月かけて、じわじわと周囲の認識を作っていった。
公の場で言ったことで、結果的に唐突感がない形で希望を言えたのは良かった。
9月には具体的な日程を上司に持っていき相談した。相談の仕方も計算されていた。「これ、どう思いますか?」というお伺いではなく、「この時期に行こうと思ってて、どう調整していったらいいですかね」というフレーミング。判断権を相手に委ねず、一緒に解決策を考える仲間として引き込む話し方だ。
初手で否定はされない確信もありました。私の性質をよく理解してくれている上司なので。
これを個人のキャラクター論で片付けてしまうのは惜しい。彼女が言わんとしているのは、日頃から「日常のコミュニケーションの延長として自分の意思を率直に提示できる」関係性を積み上げてきたということだ。信頼と実績の上に成立した、長期的な関係資本の活用である。また、有給休暇と会社の奨励休暇制度を組み合わせて1ヶ月を構成したことも、「制度の読み方」という観点で実務的な示唆がある。
みかん農園の1ヶ月——「生き様」に触れた時間
現地での生活は、シンプルだった。朝6時起床、7時から収穫開始。日没まで手を動かし続け、夜は23時には眠る。スマートフォンはほとんど触らず、パソコンは1日も開かない日もあった。
毎日パソコン見てたのに、1秒も見ない日がある。パソコンを開かないって結構いいなって思った。
みかんの収穫は、見た目よりもはるかに奥が深い。熟練のおばあちゃんは1秒に2個のペースで収穫する。40年の経験がそうさせている。どこに手を伸ばし、どう枝をよけ、どの角度でハサミを入れるか——すべてに迷いがない。山内さんはそれを「バレないように」観察し続けた。
段取りが大事、準備8割、とか本業でよく言われるんですけど、ここでも全く同じだなって。言語化されていないことも多い環境だけど、ここでもそうなんだと。
農家の人たちは、課題感を前面に出すわけでもなく、淡々と、しかし確実に自分たちの生業を続けていた。地域の産業として存続するための工夫、市や自治体との連携、新しい仕組みの導入——それが声高に語られることなく、生活の中に溶け込んでいた。
自分が今やっている仕事は、明日の生活とどれくらい直結しているか、あまりピンとこない。でも、みかん1個が明日の生活を支えているという場所に1ヶ月いたら、それだけで自分の仕事の見え方が変わった。

帰還後の変化——「肩の力が抜けた」の意味
1ヶ月を経て帰ってきた山内さんに起きたのは、劇的な変化ではなかった。転職を決意したわけでも、仕事への情熱が爆発したわけでもない。
なんか、肩の力が抜けた、という感じ。自分が持っているものを改めて確認できた、という感じ。
仕事がある。家族がいる。友人がいる。自分のモヤモヤが、いかに恵まれた環境から生まれているかが、身をもって分かった。それが、「自分の仕事を、もう一度新鮮な目で見てみようかな」という気持ちにつながった。
組織行動論の観点から言えば、これは「心理的安全性の回復」ではなく、「視座の更新」に近い。自分が置かれている場所を、一度外に出て眺めることで、その輪郭がはじめて見える。これは旅行とは異なる。観光で「リフレッシュ」した人が通常は語らないような、仕事観や人生観への静かな問い直しが、山内さんの言葉の中には確かに存在していた。
企業と人事への問い——「立ち止まる」ことを、どう制度が受け止めるか
山内さん自身は、帰還後に社内で経験をシェアした。反応はおおむね温かく、「楽しそうだな」「自分も何か試したいかな」という声が出た。「また何かやってるな」という受け止め方をされたことも、彼女がこれまで積み上げてきた信頼の証だろう。
この会社に居続けていいのかわからない、と言っているのをよく聞くこともあって、共感するところもある。目の前の仕事をし続けていると、なぜモヤモヤしているのかが分からなくなって、とりあえず逃げようという選択をしてしまう。離れる時間があれば、ちゃんと考えられると思う。
キャリアブレイクは、離職の代替手段ではない。しかし、離職の前段階にある「無言の消耗」に対して、有効な介入の一形態であり得る。特に、長期的に在籍している中堅社員——組織の記憶と文化を担う存在——の維持という文脈では、その価値はより大きい。
人事や経営者に問いたいのは、「制度があるか」ではない。「社員が使える環境にあるか」だ。山内さんが1ヶ月休めた理由の50%は「部長が作る組織風土」だと彼女自身が言う。制度は器であり、文化がその中身を決める。
各々のタイミングで長期休暇を取ろう、と会社は推奨している。でも、どうやって取るんだろう、と思っている人はまだ多いだろうし、同感です。だから、私はそれを試してみたかった。
おわりに
成熟した社会において、「立ち止まる」ことは退行ではない。山内さんの1ヶ月は、怠惰でも逃避でもなく、ひとりの社会人が自分のキャリアと向き合うために選んだ、能動的な時間だった。
志や視座を持つ人材が組織を動かす時代において、「立ち止まることができた人」のほうが、長期的には組織に貢献する可能性が高い——そういう問いを、この記事を読んだ人事担当者や経営者に持ち帰ってほしい。
キャリアブレイクを「推奨する」のではない。ただ、「それを選んだ社員が、なぜそうしたのか」を、組織が理解しているかどうか。それが問われている。

2026年05月06日
PARTNER

パナソニックコネクトグループ
山内
SEとして、ホールや会議室などの空間に導入される音響システムの設計・提案から納入までを担当。入社以来、音響・映像領域の現場支援に携わり、今年で12年目。キャリアブレイクに関する講演をきっかけに、会社の休暇制度を活用して和歌山県で行われている「蜜柑援農」に参加。1ヶ月間、みかんの収穫作業を行いながら地域での暮らしや農業の現場を体験した。現在はその経験も踏まえ、会社の外での学びやサードプレイスの可能性について関心を持っている。好物:みかん
WRITER

北野 貴大
代表理事 / 一般社団法人キャリアブレイク研究所
2014年にJR西日本グループに新卒で入社し、都市開発に従事。妻のキャリアブレイクをきっかけに、キャリアブレイク中の人のための宿「OKAYU HOTEL」を2021年にスタート(現在は奈良で運営中)。退職後、一般社団法人キャリアブレイク研究所を理事2人と共に2022年に設立。2023年より、大阪公立大学大学院経営学研究科付属イノベーティブシティ大阪ラボ特別研究員。
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